本泉寺沿革

浄土宗 本泉寺

浄土宗 本泉寺

本泉寺沿革

本泉寺沿革誌

この寺は大清山心光院本泉寺と号し明暦二年(1656)閑誉拾萬和尚が開山しました。約四百年前の当時はよく雁が飛来し、その故に雁村と称されていたようです。現在は江戸時代になってから吉田村と称されるようになった次第です。

寺宝には大涅槃図と十王絵図十一幅が伝統的に保持されています。檀家数は土地が四丁から五丁程有しておりまして小作人から米を奉納されていたため、約三十三軒程しか在りませんでした。明治時代一時無住だったため、周りの人たちからは吉田の「破れ寺」と呼ばれていたようです。私が住職した時は昭和五十八年三月仏日ですが、その時も竹林で昼間でも電球を点けなければいられなく、夜は夜で蚊に悩まされ竹林を取り除かなければ平地なのに山寺かのような寺でありました。そこで弁栄上人がひょっとして一泊寄宿していたのではないかと、弁栄上人伝(田中木叉筆)に書かれている通り、筑波山で二ヶ月修行した後、利根川近辺の「破れ寺」で一泊をお願いしたと思われるのは、総代が米粒名号を持っていたり、その隣の檀家ではない人が聖者筆「滝見観音」を持っていたのも偶然では無かったような気がしています。弁栄聖者の名前をこの地では「辨霊上人」と呼ばれていました。その後昭和六十四年に庫裏が完成し、平成二十年に本堂の落慶に至りましたのも全て聖者の蔭の力が働いていたのではと感じざるを得ませんでした。

最後に念仏の尊さとミオヤの慈悲に自ずと頭が下がる想いです。

合掌

本泉寺沿革への貼り付け写真1

本泉寺沿革への貼り付け写真2

本泉寺沿革への貼り付け写真3


本泉寺沿革への貼り付け写真4

本泉寺沿革への貼り付け写真5